代表紹介

秋庭宏是(あきばひろし)
株式会社SEA.SON代表・メンタルトレーナー
20代で銀座の「禅」ギャラリー洗心の支配人を務める。その頃、内観や瞑想などのワークショップを経て独立し、絵てがみ教室を開校。ナチュラルキッチンめだかや岩盤浴ちいさな木など複数店舗を開店、運営しながら、禅寺や旅館の総合プロデュースも手がける。
現在は経営者や管理職、跡継ぎの方などのメンタルトレーニングに注力。
「禅」の本質を現代の人に、もっとわかりやすく をモットーに活動中。
1962年生まれ 既婚、二女の父。
ココロ・カラダの健康から 禅や瞑想の大切さ に向き合ってきた30年。
現在につながる、自分史をご紹介します。
“やりたいことをやって生きる生き方とは?”を探し続けた青春時代

夢中で様々なやりたいことを片っ端からやったものの、どれもが、長く心から楽しむことはできなくなりました…!? なぜ!? 人はやりたいことをやって生きられないのか? と自問する青春時代でした。

中学生のころから兄の持っていたギターもらって、ギターをはじめました。そしてそんなギターを使って自作の曲を作るのを楽しんでいました。
その延長で音楽活動に明け暮れた学生時代。実家が製造業を営んでいたので、父親からは家業を継ぐように言われていましたが、「自分の本当に打ち込むことを見つけられなかったら家業を継ぐ」という条件を自分に課して、楽しいと思えること、やりたいと思うことをひたすら片っ端からやってゆきました。
ところがどんな楽しいこともやりたいと思ったことも夢中で一生懸命にやっていると、なんだかだんだん義務感に近いような、仕事でやっているような感覚になってしまい、いつの間にか疲れてしまい、やりたいことではなくなってきてしまいました。それがなぜ? なんなんだろうと疑問をかかえたまま、
それで自身の約束通り、大学の卒業後はいったん家の仕事を手伝いました。
私にとっては、「やりたいことをやり、楽しみながら人は生きていくことはできないのだろうか?」というのが当時の人生の大きなテーマだったので、
なぜやりたいことは、やりたいことでなくなってしまったのか?そんなことを考えるようになりました。
そして26歳のころ、ある社長さんから声をかけていただき、歌舞伎座東新館プランニングに参加し、東京へ出向くようになりました。
そして、そのまま、同館にある禅のギャラリーで仕事をさせてもらうことになり、直感で、その仕事をやってみたい、やってみると決めると、家業を継いでほしかった父親からは「好きにしろ!」と怒りを買い、「やめるなら勘当だ!」と「勘当」されてしまいました。しかしのちのち、このことは私の人生にとって大変大きな転機をもたらしました。
バブル崩壊後に大きく没落した経営者、あまり変らなかった経営者、そしてあまり変わらなかった経営者の人たちの共通点に“禅的思考”があった。

バブル時代の銀座の中において、表向きは華やかで派手で楽しそうに見えても、どこか寂しさ、むなしさをいつも抱えていた気がします。本当に“心から安らげる場所”を探し始めていたのかもしれません。

東京は銀座、歌舞伎座の真横で禅の書画などが飾られ、僕はそれについて説明をしなくてはなりません。本を読んだりお坊さんから聞いたお話をもとに説明するのですが、年配の経営者の方々は、体験から禅の本質を知っているようでした。そんな中、ある経営者の方から「きみは禅の本質が全然わかっていない」といわれてショックを受けました。
「きみは自分のことを、自分の事実を知らなすぎる」と…
バブルの全盛期だった20代後半。夜な夜な華やかな成功者に囲まれ、ふた回りほども年上の 大きな会社の社長さん方と松竹の専務などとで、銀座界隈をはしごする日々の中 、
「自分は彼らのような大人になりたいんだろうか?」と素朴に考えるようになりました。
そして、まもなくしてバブルがはじけ、そのときに「変化のなかった経営者」と「没落した経営者」を私は間近で見て、そのすさまじさを体験させていただきました。
そしてあまり影響を受けなかった経営者の方たちに通じるものが、
禅的な考えを実践されているような経営者の方が多かったように思えたのでした。
そして、彼らの話はそれこそ そのころお付き合いがあった高名なお坊さんたちが語る内容よりも、非常に実践的かつ実務に即したとらえ方をしており、私には非常にわかりやすく身近にすぐに実践できる体験的なものばかりだったのです。
当時の成功者と呼ばれる人の多くはお金もあり毎日楽しそうにみせていたけれど、どこか醜さが垣間見え、真の安らぎとは程遠く感じ、本当の幸せの中にいるように、私には感じられなかったのです。
そんな中、尊敬する経営者の方たちから言われて、自分の中で大きくなっていったのは…
「“本物の心の平安 幸福感”といったものを得るためには、いったいどうしたらいいのか? 」
そして
「やりたいことと、本当にやりたいこと」は違うのだということでした。
学生時代の自分はやりたいことやりまくったけれど、
それらは私の「本当にやりたいこと」とは違っていたことに気づかされたのです。
気づいた心の傷と自分の内面の癒しの旅

自分をふと客観的に見たとき、心の癒し!?への関心が芽生えました。そこから様々な自分の内面に気づかされ、その内面の影響に当時嫌いだった父親の存在が大きくあることに気づかされたのです。
自分自身の客観視のきっかけは、マネージャーとして部下への対応に悩んでいたころでした。
‘‘いい‘‘上司、‘‘できる‘‘上司、‘‘好かれる‘‘上司を目指して そのようなタイトルの本を読み漁りながら ふと「もし自分が部下の立場だったら…」そんなことを考え、「こんな本を読んでいる上司は嫌だな」と気づいたんです。
その瞬間、はじめて部下のことを人として見ていない(部品のようにしかみていない)自分に気づかされ、ぞっとしてそのような本を捨て去ったことがありました。
そして、この体験が自分を客観視する感覚をはじめてつかんだ体験でその後の自己認識、事実認知の大きな一歩となりました。
そんな経験からか、「自分の心のこだわりや、正義感、強い信念はどこからきているのだろう?」「いつから父親へこれほどにまで反発をしはじめたのだろう?」(昔は好きだったのではないのか!?)また「兄に対してはどうだっただろう?」とか、自分は、いったい「本当の本当はなにをやりたいのだろう?」と、自分の心を深くみつめ、少しずつ客観視することを覚えてゆきました。
すると、私の父への強い反発は、
元々は父への大きな愛しさ(今想うと本当の愛でなく、愛してほしい、かまってほしいという自然な欲求)からきていることに気づかされたのです。
私は父に認められたかった、もっと関わってほしかったんです。
兄とは違う形でで認めてほしかった。向き合ってほしかった。
だから音楽や芸術といった兄がやらなかったことをやって認められようと10代のころがんばった。
自分が好きでがんばってやっていたつもりでいたものすべては、
じつは父に(ひいては誰かに)認めてもらうためにやっていたんです。
「認めてほしかった」という感情の抑圧があったのです。
だからどんなにやっても、認めれているときは満たされても、認められなくなると苦しく嫌な気分になったのでした。
そして、そのころの自分は、やりたいという気持ちよりも、欲しかったものがあって やっていたのです。
それは、「誰かからの承認」「認めてもらうこと」と気づかされたのです。
心の無意識の欲求が私の行動や考え方までをも支配していた―
そんなことに気づきもしなかった…
だから「満たされない」とストレスが襲い、嫌になり、続けれれなくなっていたのです。
その影響か、お酒やたくさん飲んだり、つっぱって立派に見せたりと自分を大きく見せて見栄を張ることが必要だったと そんなことに気づいた時、
私は何をやるにしても、まずは自身の心のありのままを知り、その行動、や言動、考えを支配する過去に抑圧した感情エネルギーと向き合うことが先決だと思い、自己探求、事実認識をしてゆくことに惹かれていったのです。
当時 誰もまだアロマやハーブなどに興味を示していなかった30数年前に、アロマやハーブを含め、あらゆるヒーリンググッズ(心を癒すといわれていたもの)を買い集め、食事も健康的なものに変え、部屋で使われているさまざまなグッズを変え、瞑想を取り入れ、ナチュラルな生活に身を置くようになりました。
そんな生活の中で、自然とたばこが吸えなくなり、アルコールも進んで飲まなくなり、日々の生活がどんどん健康的で快適になってゆいったのです。
そしてバブルの崩壊とともに禅ギャラリーも徐々に閉館の運びとなり、私は関西に戻ることになります。そして京都での仕事を2年ほどやっていくうちに、本当の幸せは心の正常化と肉体の正常化にあると感じるようになり、客観的視座を持って生きる(瞑想的な生き方)がそんな心の在り方のサポートになることを気づかされたのでした。
そして「私も誰かの過去の感情エネルギーに乗っとられることなく、自己認知、事実認識をしながら、幸せに生きれるサポートになるような仕事をしてゆきたい」と強く思うようになり、会社を辞め、独立してそのような会社をつくることを心強く決意いたしました。
自分のココロが 自分の人生を 良くも悪くも変えてしまう

「今ここ」に生きる そんな風に過ごす勘が取れたとき、人生の景色が変わりはじめる。
そしてそれはそれほど難しいことでもない。 過去の感情を「今ここ」に持ち込まない、それだけのことなのです。
独立当初は、友人の小さな事務所を間借りし、大きくなってしまったプライドを少しでも小さくするために「あいだみつをのカレンダー」を片手に飛び込み営業をしまくり、叱られまくり、うっとうしがられまくりの日々を過ごします。だけど時々話を聴いてくれる人がいて、そんな人に気持ちを助けられながら、来る日も来る日も飛び込み営業を続ける日々だったのです。
そのころ、お金は稼げなかったけれど、大切な学びがたくさんある期間でした。
嫌われたときの自分の反応の大きさ、出てくる会話と向き合いながら、自分の傲慢さ、横柄さ、正しいとの思い込み…
まあ、自分の未熟さ、過信の強さと… そんな自分のよくない面と向き合う毎日でした。
そして、仕事を模索している中、友人に絵てがみの描き方を伝えたところ、「コレはいろいろな気づきがあって、やりたいことに通じるものがあるんじゃないか!?」というアドバイスをもらい、「自身に気づく絵てがみの教室」を始めました。
早速ちらしを作って近隣オフィスにまいたところ、あの「嫌われる勇気」のアドラーギルドさんの大阪事務所の中枢のセラピストたちに興味を持っていただき、たくさんの生徒さんをご紹介いただきあっという間に教室も生徒さんも増えていったのでした。
そんなあるとき、大阪で絵てがみ教室のため間借りしていたイタリアンのレストランが閉店することになり、「この場所を引き続き使ってもらえませんか?」と声がかかり、もしやるなら体の内側から癒されるような健康的な食事をサラリーマンが食べれる金額で提供したいと考えました。
ですが、そんな料理は私にはつくれず、どうしようか?と考えていたところ、
絵てがみ教室の生徒さんから「私たちが手伝います、会社を辞めて協力します」と声をかけていただき、一緒に店を運営してゆくことになりました。これが現在の「ナチュラルキッチンめだか」のはじまりとなったのでした。
私のいくつかのほかの事業はみんなこんな感じでのスタートです。
店がやってゆけないので、やってもらえませんか?→どこからか人がくる
そんなことを繰り返す中で 何かしらのキッカケがあって始めた仕事、
だったら「心とカラダを健康に戻すもの」というテーマに合うものだけを広げて創作していった結果が、今のような様々な事業形態となったわけです。
はじめのことはバラバラな仕事に見えたものが、今では明確に向かってる方向にブレないものだけになっているとも思います。
私は今、自分の本当にやりたいことだけを仕事にしています。
自分のやりたいことと、自分の本当にやりたいことは違います。
「動植物を含む、もちろん人も自分も含む すべての命が幸せに暮らせる世界創りへの貢献」
それに決まっているというのは、私の持論です。
ここで大切なのはやりたいことではありません。
あくまで「ほんとうの 本当に やりたいこと」なのです。
まずは人のココロとカラダを健康にしてゆき、その「得」、「恩恵」を知る、体験する人を増やし、そしてそんな中で自分のありのままを客観視する「得」や、心を癒す、(抑圧してきた感情エネルギーを小さくしてゆく)をことから自然とたどりつく、「今ここ」に生きるのコツを、体感として感じとってもらい、
自己認識をすること、事実認知をしてゆくこと がいかに自分の人生、ひいいては世界中の人の人生に「得」になるかに気づけるような「場」をこれからも 少しづつでも、創作してゆけたらと思っております。
秋庭宏是
秋庭 宏是(あきばひろし)

略歴
・1962年 沢庵和尚の血筋を持つ秋庭家の次男として大阪に生まれる
・1989年 東京・銀座「歌舞伎座東新館」禅ギャラリー支配人に就任
・1993年 『気づきの絵てがみ教室』を開講し、自己認識と癒しのワークを開始
・1997年 ナチュラルレストラン『natural kitchen めだか』をオープン
・2000年以降 リトリート施設、岩盤浴サロン、居酒屋、音楽プロジェクトなど、
“心とカラダを癒す”をテーマに多彩な事業を展開。
大人のための癒し絵本「動物職人のなみだ」が出版される。
