ココロ・カラダの健康から
禅や瞑想の大切さ に向き合ってきた30年
現在につながる、自分史をご紹介します
“やりたいことをやって生きる生き方とは?”を探し続けた青春時代

中学生のころから兄の持っていたギターをもらって、自作の曲を作るのを楽しんでいました。
音楽活動に明け暮れた学生時代。父親からは大阪で家業の製造業を継ぐように言われていましたが、「自分の本当に打ち込むことを見つけられなかったら家業を継ぐ」という条件を自分に課して、楽しいと思えること、やりたいと思うことを片っ端からやってゆきました。
ところがどんな楽しいことも一生懸命にやっていると、だんだん義務感に近いような感覚になってしまい、いつの間にか疲れてしまい、やりたいことではなくなってきてしまいました。それはなぜ?と疑問をかかえたまま、約束通り、大学の卒業後はいったん家業を手伝いました。
そんなある日、ある社長さんから声をかけていただき、歌舞伎座東新館プランニングに参加し、東京へ出向くようになりました。そして、同館の禅のギャラリーで仕事をさせてもらうことになり、父親からは勘当されてしまいました。
バブル崩壊後にもあまり変わらなかった経営者の人たちの共通点に“禅的思考”があった。

銀座の禅ギャラリーでの仕事は、本を読んだりお坊さんのお話をもとに禅の書画の説明をする仕事でした。年配の経営者の方々は、体験から禅の本質を知っているようでした。
ある経営者の方から「きみは禅の本質が全然わかっていない」いわれてショックを受けました。
「きみは自分のことを、自分の事実を知らなすぎる」と。
バブルの全盛期だった20代後半。夜な夜な華やかな成功者に囲まれ、銀座界隈をはしごする日々の中 、
「自分は彼らのような大人になりたいんだろうか?」と素朴に考えるようになりました。
まもなくしてバブルがはじけ、そのときに「変化のなかった経営者」と「没落した経営者」を私は間近で見て、そのすさまじさを体験させていただきました。
そしてあまり影響を受けなかった経営者の方の多くが禅的な考えを実践されているように思えたのでした。彼らの話はそれこそ高名なお坊さんたちが語る内容よりも、非常に実践的かつ実務に即したとらえ方をしており、私には非常にわかりやすく、すぐに実践できる体験的なものばかりだったのです。
自分の中で大きくなっていったのは…
「“本物の心の平安 幸福感”といったものを得るためには、いったいどうしたらいいのか? 」
そして「やりたいことと、本当にやりたいこと」は違うのだということでした。
自分の内面の気づきと癒しの旅
自分自身の客観視のきっかけは、マネージャーとして部下への対応に悩んでいたころでした。
‘‘いい‘‘上司、‘‘できる‘‘上司、‘‘好かれる‘‘上司を目指して本を読み漁りながら ふと「もし自分が部下の立場だったら…」そんなことを思い、私ははじめて部下のことを「人」としてではなく、部品のように見ていた自分に気づかされました。
その事実に、ぞっとして、読んでいたその本を捨て去ったことがあります。
そして、この体験が自分を客観視する感覚をはじめてつかんだ体験でその後の自己認識、事実認知の大きな一歩となりました。
それから私は、こんな問いを自分に向けるようになりました。
「自分の心のこだわりや正義感、強い信念は、いったいどこから来ているのだろう?」
「いつから父親に、これほどまで強く反発するようになったのだろう?」
(昔は、好きだったのではないのか…?)
「本当の本当は、私は何をやりたいのだろう?」
すると、父への強い反発の正体が、少しずつ見えてきました。それは元々、父への大きな愛しさ——今思えば、「本当の愛」ではなく、愛してほしい、かまってほしいという、とても自然な欲求から生まれたものだったのです。
私は、父に認められたかった。もっと関わってほしかった。だから、兄がやらなかった音楽や芸術に取り組み、「これで認めてもらえるかもしれない」と、10代のころ必死にがんばっていました。実はそこには、父に、ひいては誰かに「認めてほしい」という感情を抑え込んでいた自分がいたのです。
無意識の欲求が、私の行動や考え方までも支配していた。だからこそ「満たされない」感覚が常につきまとい、ストレスを紛らわすために、お酒をたくさん飲んだり、見栄を張ったりすることが必要だった——。
そんなことに気づいたとき、私は思いました。何をやるにしても、まずは自分の心のありのままを知ることが先なのだ、と。
自分の行動や言動、思考を支配している過去に抑圧した感情エネルギーと向き合うこと。
そこから逃げずに、自己探求と事実認知をしていくことに、強く惹かれていきました。
当時はまだ、ほとんど知られていなかったアロマやハーブ、さまざまなヒーリンググッズを買い集め、食事を見直し、部屋に置くものを変え、瞑想を取り入れ、少しずつナチュラルな生活へと身を置くようになりました。
そんな日々を重ねる中で、自然とたばこが吸えなくなり、アルコールも進んで飲まなくなり、気づけば、生活そのものがどんどん健康的で、快適なものへと変わっていったのです。
自分のココロが 自分の人生を 良くも悪くも変えてしまう
本当の幸せは、心の正常化と肉体の正常化にあると気づかされ、そのために誰もが客観的な視座を持って生きられるような、そんな心の在り方を支えるサポートをしたいと考えるようになり、
私は会社を辞め、独立して、そのような会社をつくることを強く決意しました。
独立当初は、友人の小さな事務所を間借りし、大きくなってしまったプライドを少しでも小さくするために「あいだみつをのカレンダー」を片手に飛び込み営業をしまくり、叱られまくり、うっとうしがられまくりの日々を過ごします。
時々話を聴いてくれる人がいて、そんな人に気持ちを助けられながら、来る日も来る日も飛び込み営業を続ける日々だったのです。お金は稼げなかったけれど、大切な学びがたくさんある期間でした。
嫌われたときの自分の反応の大きさ、出てくる会話と向き合いながら、自分の傲慢さ、横柄さ、正しいとの思い込み…
まあ、自分の未熟さ、過信の強さと… そんな自分のよくない面と向き合う毎日でした。
そうして仕事を模索している中、友人に絵てがみの描き方を伝えたところ、「コレはいろいろな気づきがあって、やりたいことに通じるものがあるんじゃないか!?」とアドバイスをもらい、「自身に気づく絵てがみの教室」を始めました。
早速ちらしを作ってまいたところ、「嫌われる勇気」のアドラーギルドさんの大阪事務所の中枢のセラピストたちに興味を持っていただき、たくさんの生徒さんをご紹介いただきあっという間に教室も生徒さんも増えていったのでした。
そんなあるとき、大阪で絵てがみ教室のために間借りしていたレストランが、閉店することになりました。その際に「この場所を、引き続き使ってもらえませんか?」と声をかけていただいたのです。
もしやるなら、体の内側から癒されるような、健康的な食事を提供したい。
しかも、サラリーマンの方が無理なく食べられる金額で——。
そう考えたものの、当時の私には、そのような料理をつくることができませんでした。
「さて、どうしようか?」と悩んでいたところ、絵てがみ教室の生徒さんたちから「私たちが協力します」と声をかけていただき、一緒にお店を運営していくことになりました。
これが、現在の「ナチュラルキッチンめだか」のはじまりです。
振り返ってみると、私のほかの事業も、ほとんどがこのような形でスタートしています。
何かしらのきっかけがあって始まった仕事を、「心とカラダを健康に戻すもの」というテーマに合うものだけを広げて創作していった結果が、今のような様々な事業となったわけです。
はじめは、バラバラの仕事に見えていたかもしれません。けれど今では、向かっている方向にブレのないものだけが残っているようにも感じています。
ここで大切にしているのは、あくまで「ほんとうの、本当にやりたいこと」をやっている、という点です。
私の持論ですが、みんなの「本当にやりたいこと」とは、「動植物を含め、もちろん人も自分自身も含めた、
すべての命が幸せに暮らせる世界をつくることへの貢献」 なのではないかと思っています。
まずは、人のココロとカラダを健康にしていくこと。
そして、その「得」や「恩恵」を、実感として知る人を増やしていくこと。
その中で自然とたどり着く「今ここ」に生きるコツを、体感として受け取ってもらい、自己認識や事実認知が、どれほど自分の人生に、ひいては世界中の人の人生に「得」になるのかに気づいてもらえる——。
そんな「場」を、これからも少しずつでも、創作していけたらと思っています。
秋庭 宏是(あきばひろし)


